彼女と出会ったのは2014年春。劇団春の公演は原発をテーマにした芝居「臨界幻想」の稽古中だった。福島県伊達市から避難してきた5人の子供を持つお母さんだ。「私達のことを知ってほしい。原発事故を忘れてはいけない。」と必死に訴えかける。「故郷を元どおりにしてください」と国と東電を相手に訴訟をおこした。当時はすぐに泣いてしまうお母さんだった。しかし5年の闘いで彼女は確実に強くなった。お母さんとして、人として。昨年名古屋地裁ででた判決は彼女たちに冷たい判決であった。彼女は再び先頭に立って闘う道を選んだ。
考え方は人それぞれだ。しかし、劇団として彼女の声に耳を傾け続けようと思う。次に故郷を奪われるのは我々自身かもしれないからだ。
彼女の今年の3.11の声を聞いてください。
↓
今日という日に
原発事故から9年が経ちます。
それと同時に避難をして9年です。
毎年3.11はどこかしらでお話し会や追悼の記念式典、鐘の音を聴いて来ました。
今年は新型コロナウィルスの影響で名古屋で行われる311に関連した催しはほとんど(私が知らない催しもあるかもしれませんが)中止になり初めて子供と私だけで過ごす今日という日
久しぶりにテレビをつけたらキラキラした福島の復興を唱える常磐線全線開通。
誰のために
何のために
“復興”なのでしょうか。
あの事故で何を学ぶのでしょうか。
涙が出ます。
今朝仕事へ向かう時
9年前の今日いつもと同じように子供を小学校に送り出し、幼稚園へ送り出し4番目の娘と2人で朝のまったりした時間を過ごしながら、今日は卒業式の予行練習だから小学生の娘が早く帰ってくるなーとか
あ、ちょうど幼稚園の迎えの時間がかぶるから拾って迎えに行けば一回で終わるなーとか
普通の日常
福島での平穏な時間はあの時間で止まってしまったんだなーと
胸が苦しくなりながら朝通勤をしていました。
やっぱり一年のうちこの日は特に胸が苦しい。(コロナウィルスに罹患したわけではないと思います、検査していませんが)
原発事故前まで
自分が被害者になるなんて考えもしなかった
活動をするなんて思いもよらなかった
世の中を変えるための社会運動に携わるなんて想像もしなかった
やり方も言い方もわからないけど
やっぱりもう2度と同じ事故は起こして欲しくないと思うのです。
原発事故で被曝をさせないでほしいのです
原発事故の被害者はもう私たちで終わりにしたいのです
だからこそ
だからこそ
声を上げ続けるのです
叫び続けるのです
“原発なんてもういらない”
#311
#原発なんてもういらない
2020年3月12日木曜日
2020年3月10日火曜日
新型コロナで次々公演中止
私たちが知る演劇人たちの公演が、今回の新型コロナウィルス感染予防のために中止に追い込まれる事態が相次いでいます。
致し方無い事態とはいえ、先行きの見えないこの病気によって、今後どれくらいで公演ができるようになるのか、頭を抱えます。
今日から確か宝塚歌劇団が公演を再開するそうです。
大きな決断だと思います。
目に見えない脅威で、お客様も劇団もどうしたらいいのかわからないのが現実ではないでしょうか。
学校登校自粛にしろ、一度止めたものを再開するタイミングを計るのは結構勇気がいることだと思います。
なぜならすぐにこのウィルスが全滅するわけでもないので、いつ再度活発化するかわからないからです。
なにかウィルスの脅威より、むしろ人間の憎悪に脅威を感じます。
今、私の職場で「風邪で休みます」と言いにくい雰囲気があります。
職場で咳払いもしにくい雰囲気があります。
マスクは本来病人がするものであって、飛沫による拡散を予防するものです。
健康な人が感染を予防するためには作られたのではありません。
(もちろん感染リスクは減るでしょうが)
それなのにマスクをはめていないだけで、「うつすなよ!」と言わんばかりの目線を感じるのは私だけでしょうか?
この窮屈感は何なのでしょうか。
これは戦時中の「モノが言えない」状況に似ているのではないでしょうか。
群集心理として、戦争や災害において人間って過剰に防御反応が働き、自己防衛するがゆえに攻撃性が増すように思えます。
病人に優しくなれない今の状況は異常ですね。
この状況におぞましさを感じます。
致し方無い事態とはいえ、先行きの見えないこの病気によって、今後どれくらいで公演ができるようになるのか、頭を抱えます。
今日から確か宝塚歌劇団が公演を再開するそうです。
大きな決断だと思います。
目に見えない脅威で、お客様も劇団もどうしたらいいのかわからないのが現実ではないでしょうか。
学校登校自粛にしろ、一度止めたものを再開するタイミングを計るのは結構勇気がいることだと思います。
なぜならすぐにこのウィルスが全滅するわけでもないので、いつ再度活発化するかわからないからです。
なにかウィルスの脅威より、むしろ人間の憎悪に脅威を感じます。
今、私の職場で「風邪で休みます」と言いにくい雰囲気があります。
職場で咳払いもしにくい雰囲気があります。
マスクは本来病人がするものであって、飛沫による拡散を予防するものです。
健康な人が感染を予防するためには作られたのではありません。
(もちろん感染リスクは減るでしょうが)
それなのにマスクをはめていないだけで、「うつすなよ!」と言わんばかりの目線を感じるのは私だけでしょうか?
この窮屈感は何なのでしょうか。
これは戦時中の「モノが言えない」状況に似ているのではないでしょうか。
群集心理として、戦争や災害において人間って過剰に防御反応が働き、自己防衛するがゆえに攻撃性が増すように思えます。
病人に優しくなれない今の状況は異常ですね。
この状況におぞましさを感じます。
2020年3月1日日曜日
撮影終了
映画 小笠原登医師の撮影を終えて、無事に名古屋に戻りました。
新型コロナで戦々恐々としながら、道中マスク装着。
しかし、このハンセン病においても、家に火をつけられたり、村八分にされたり、酷い差別があった過去がありながらも、この今日、こんな国中がパニックになるような新たな病で差別や偏見で国民が不安になる状況が起きるとは、なんとも胸をえぐられるような想いがします。
今だからこそ、この小笠原医師が伝えるメッセージは大きいものではないでしょうか。
私たちは過去から学ばないといけないと痛切に思い知らされます。
無知から差別や偏見は生まれるってことを。
映画「小笠原登物語」(?)
一昨年秋に上演した「空白のカルテ」再演、再再演を重ねてきました。その主人公小笠原登さんの映画が真宗大谷派の制作により撮影されています。今日は小笠原登さんのイメージ映像の撮影で大阪に来ています。「空白のカルテ」出演者深山さん、ごとうてるよさん、阿南さん、神谷君、谷川が出演します。
昨年暮れに愛知県あま市にある小笠原先生の生家圓周寺で撮影。今日は京大病院皮膚科特別研究室での治療風景を撮影しています。実際の家を改造した治療室。なかなかいい味です。映像に不慣れな阿南、谷川、奮闘中です。
「劇団神戸」さんの役者さんたちと交流しながら和気あいあいと撮影は進んでいます。
完成は…わかりません!(笑)…が、お楽しみに!
昨年暮れに愛知県あま市にある小笠原先生の生家圓周寺で撮影。今日は京大病院皮膚科特別研究室での治療風景を撮影しています。実際の家を改造した治療室。なかなかいい味です。映像に不慣れな阿南、谷川、奮闘中です。
「劇団神戸」さんの役者さんたちと交流しながら和気あいあいと撮影は進んでいます。
完成は…わかりません!(笑)…が、お楽しみに!
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